2023年3月、壱岐市郷ノ浦町の高校2年生の椎名隼都さん(17)が行方不明となり、3月20日に壱岐島南部にある原島神社付近の海岸で遺体となって発見されました。里親からの虐待疑惑が報じられており、どのような虐待行為だったのか調査してみました。
椎名さんは茨城県出身で、長崎県の「離島留学制度」で壱岐市の里親の元で生活をされていました。

〈尋ね人〉
氏名:椎名隼都(しいなはやと)
年齢:17歳
体格:身長175cmくらい痩せ型
特徴:頭髪、黒髪、眉にかかるえり足が少し長い
服装:上衣、白色と紺色のボーダー柄セーター
下衣、紺色ジャージズボン
靴、黄土色スニーカー
所持品:黒色長傘(取っ手部分が茶色)
令和5年3月1日午後4時25分ころに、自宅で確認されているのを最後に行方が分からなくなっています。
【連絡先】
お心当たりの方はご連絡をお願いいたします。
長崎県壱岐警察署 刑事生活安全課
TEL 0920-47-0110
椎名隼都さん里親「齋藤智之・京子夫妻見た目が怖い」
齋藤夫妻の印象強面
椎名隼都さんの里親は、齋藤智之・京子夫妻と判明しています。この写真を見た限りですが、雰囲気が怖そうに見えます。

壱岐市に住んでおり、5人の実子がいます。その齋藤家の元に離島留学制度を利用し、現在6人の小学校から高校生の子ども達が留学しています。その内の一人が椎名隼都さんでした。
齋藤家の仲よさげ写真

齋藤夫妻は、写真の中でも、世間からの印象も、この写真も見る限り雰囲気は良さげです。

椎名隼都さんは高校2年生なので、里子の中では年上の方ですが、「子ども5人、いきっこ留学生4人」と、どうやら齋藤夫妻の実子5人の中よりも年上だったようです。
上記写真は、椎名隼都さんが留学1年目の中学2年生に撮影された写真です。テーブルの奥の方で、ピースで笑顔に写っているのが椎名隼都さん。しかし、この写真が公開された動画で、椎名隼都さんの姿はこの静止画以外にはありませんでした。
島外の小・中学生、高校生が豊かな自然環境や多くの文化や伝統などが残っている離島で暮らしながら、勉学に励むことです。長崎県壱岐市は平成15年から高校生、平成30年から小・中学生を対象としてこの離島留学制度を実施しています。
椎名隼都さんの里親「齋藤夫妻の裏の顔」
齋藤夫妻の虐待疑惑報道では、島民からの様々な証言が出ていますが、報道以外での証言もあります。
根性論で乗り切ろうとしたか
「実は、椎名君は里親のAさん夫婦から、日常的に叩かれたり怒鳴られるなどの虐待をうけていたのです。」
齋藤智之「胸ぐらを掴んだり、叩いたりしたことは一度だけありますけど、それ以外はやっていません。根性論的なところはやっぱりあったので」
齋藤智之は週刊文春の取材で、日常的な虐待は否定していますが、齋藤夫妻を知る島民は虐待はあったと証言。根性論で乗り切ろうとしたのでしょうか。だいたい悪い事した方は自分を正当化します。
留学経験者の衝撃的な虐待の詳細
実際に齋藤家で留学経験のある留学生からの証言があります。
・毎朝、齋藤夫妻に挨拶するルールがあり、その挨拶の声が小さいと平手で叩かれる
・食卓は齋藤一家と分かれており、里子たちのおかずの量は明らかに少ない
・お風呂も里子たちは湯船に浸かれず、シャワー5分
・里子たちが夜遅くゲームをしていた罰として台風の中、外で正座させられる
・鼻をすすると怒鳴られる
・隼都くんはずっとスマホを取り上げられていた
スマホを取り戻すために立ち入り禁止だった齋藤夫妻の寝室に入ったことがバレ、齊藤京子に「キモい」「怖い」と怒鳴られながら叩かれたとのこと。齋藤智之は「あれくらいで止めておけと言っただろう」と奥さんの虐待行為を認識していたようです。
椎名隼都さんはスマホに、「死にたい死にたい」と残していたそうです。相当追い詰められていたのかノートに「死にたい」と書いていたこともあり、それが齋藤夫妻に見つかり破り捨てられ怒鳴りつけられたことも判明しています。
この内容は教育でも根性論でもありません。これが本当であれば、完全な虐待です。この若さで「死にたい」なんて、子供に思わせる大人が本当に信じられません。
イルカパーク経営者が語る壱岐島の闇
東京都出身の壱岐島でイルカのテーマパークを運営する高田佳岳さんのFacebookでの投稿です。
最初の投稿は、Facebookの「壱岐」というグループへ投稿しましたが、誰かに消されてしまったとのこと。高田さんは、3月5日からずっと椎名隼都さんの行方を心配し、諦めず何度も呼びかけていらっしゃいます。
椎名隼都さんが行方不明となる2ヶ月ほど前に、同じ里親にお世話となっていた高校1年生が「もう家に帰りたくない。壱岐から出たい。」と逃げてだしてきたそうです。高田さんはすぐに彼を保護しました。そして今回、椎名隼都さんのことがあり、大変悔やんでいらっしゃいます。

いなくなったのに箝口令して、情報は島外に出すな、SNSはダメだ辞めろ、だ言って、人の書き込みまで消して、16日間もなりふり構わず隠し通してきた当人達が、文春に書かれたら翌日には公開捜査にして、いきなり丁寧に取材も受けてて、小綺麗にまとめてて、先生は実名まで出しちゃって…。どうしたんすか?
どうせやるなら、いなくなってすぐにやって欲しかったな。島内放送も全島捜索もすぐやって欲しかった…。
これ以上、こんなだせー大人の勝手な事情に振り回されて、我慢を強いられる子供を作りたくないし、そんな不幸な離島留学生を出したくない。これ以上、失望させないでくれ…。
3月1日に椎名隼都さんが行方不明となってから、16日間も立っているにも関わらず、大事にされまいと本当にダサい大人たちがやっと動き出したと語られています。「良かった!やっと動いてくれた」と言っても、高田さんにとって失望の意。これが本当ならば、壱岐島ぐるみの隠滅行為に闇を感じざるを得ません。
【追記】

最悪の結果。
こうなったら、こうなった理由を徹底的に追求する。
無駄死にになんてさせない。彼が言いたかったこと、伝えたかったこと、話したかったこと、絶対に放置しないし、無かったことなんてさせない。「そんなつもりでは無かった」「知りませんでした」で終わらせない。
3月20日午前11時半頃、壱岐島から4キロほど離れた離島の岩場で男性の遺体が発見されました。行方不明となっていた椎名隼都さんとの服装と似ているとのこと。
【追記】子供を追い詰める里親たち
こちら壱岐島の別の里親に子供を預けていらっしゃる親御さんの投稿です。食事の様子ですが、明らかにこの食事の量は少なすぎます。

私の子の壱岐市の里親は8人のお嬢さんを受け入れてました。育ち盛りの高校生に惣菜や冷食を食べさせて、家人は留守で子供達だけ残し夕飯も与えていない日がありました。私は自宅に連れ帰り転校させました。ある日の夕飯の写真です。写っているのは3人分の食事です。箸と見比べてください。
8人の留学生を預かっているということは、月に64万円を貰っています。子供を預かるということは大変でしょうが、自分たちが預かると決めておいてこの扱いは有り得ません。
椎名隼都さんの里親父「齋藤智之、きっかけはラジオ」
椎名隼都さんの里親の父方である、齋藤智之はどのような人物なのでしょうか。

里親のきっかけはラジオ
調べたところ、2011年から壱岐市でNPO法人の代表理事を勤めています。「地域の安全と住民が自信と誇りを持って住める地域の創造に寄与する」を目的とし、『特定非営利活動法人 島ラジオ壱岐』主に地域密着型で地域限定のラジオ番組を制作したりラジオパーソナリティとして活動しています。

齋藤智之は、ラジオ番組の制作過程で「いきっこ留学制度」を知り、留学生である子供たちを受け入れようとなったそうです。

●NPO法人とは
組織正式名称:特定非営利活動法人 島ラジオ壱岐
設立:平成23年2月8日
開局:平成23年5月10日
放送局名:壱岐エフエム
識別信号:JOZZBR-FM いきエフエム
周波数:76.5MHz
送信所:
(岳の辻)郷ノ浦町若松触452-2(20W)
(高の原)芦辺町住吉東触687-1(20W)
(勝本局)勝本町坂本触256(10W)

事務所所在地:
〒811-5136 長崎県壱岐市郷ノ浦町片原触1019番地1(自宅住所と同じ)
放送スタジオ:
〒811-5133 長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触654-1 壱岐市ケーブルテレビセンター施設内
TEL:0920-47-5402 ※スタジオ(光ネットワーク)0920-40-0267
FAX:0920-40-0268
MAIL:765@ikifm.jp ikifm765@gmail.com

(理念)
多くの情報伝達手段の中でもラジオに着目しています。ラジオは、使いやすい情報手段です。
近年は、コミュニティ放送のように地域限定、地域密着のものが増えています。地域における情報を交換・共有するだけでなく、災害時の情報を伝える手段として大きな役割があります。また、地域の人々が聴くだけでなく、番組を制作する機会も生まれています。
聴くこと、話すことはコミュニケーションの重要な要素です。
島ラジオ壱岐は、地域住民の情報受発信力を高める事業を行います。そして、ラジオを中心にした手段により住民間のコミュニケーションを促進するとともに、地域で必要とされる情報を掘り起こし、その情報を共有することを通じて、地域の安全と住民が自信と誇りを持って住める地域の創造に寄与することを目的に活動します。
「離島留学」制度で椎名さんを預かっている壱岐市の家庭の男性はNHKの取材に対して、「自分から率先して皿洗いをしてくれたり、洗濯物を干してくれたり、お兄ちゃん的な存在だった。優しすぎる性格で人に対して気を使いすぎていたのでそのしわ寄せはあったのだと思う」と話しています。
その上で、「いま行方不明となっているというのが本当に信じられないし、やっぱり悔しいです。だから必ず見つけたいです」と話していました。
引用元:NHKニュース
NHKでのインタビューには上記のように話しています。表向きは良い感じに猫をかぶっており、真実は、皿洗いや洗濯を「やれ」と命令していたのでしょうか。
さらに「ライター・ブロガー」

名前で検索すると、フリーランスのプラットフォーム『ランサーズ』に”ライター・ブロガー”として登録されていました。年齢50代前半。代表理事や里親と収入があっても、さらに稼ごうとしていたのでしょうか。
ライサーズに登録されていたプロフィールは以下になります。

[イベントと放送経歴]
九州一円で数多くのイベントに関わり、企画運営を学ぶ。29歳でラジオディレクターに転身&音響エンジニアとしても従事。35歳でこれまでの経験を活かし、5歳まで暮らした故郷の壱岐島に帰り、ラジオ局、イベント企画運営、音響など島になかった事業を立ち上げ現在に至る。
1991-1994 Barなど飲食店経営を目指し従事
1994-1997 市内イベント会社に在籍し業務遂行
1997-1998 RKBミューズ契約 ラジオ営業促進部にてイベント制作に従事
1998-1999株式会社エフエム九州(クロスエフエム)にて番組制作に従事
1999-2001 天神エフエム株式会社(現:LOVE FM)にて番組制作に従事
2001-2004 九州国際エフエム株式会社(LOVE FM)にて番組制作に従事
2004-2010 壱岐へ帰省 勝本F M76.4MHzの企画運営に従事
2010-現:壱岐エフエムのコミュニティエフエムに係る免許申請から開局〜運営に至るまでの全てをプロデュース NPO法人代表
[講師]
福岡スクールオブミュージック プランニング課
「自己PR」
主にイベント企画などにおける様々なプロモーションという点に特化した役割を担う業務に従事、故郷の「壱岐島」の通信・情報技術の発展に力を注ぐ事を決意し2010年にNPO法人 島ラジオ壱岐の理事長に就任。「一期一会」多くの人と出会い、繋がる縁をもっとも大事にしています。5人の父です。島暮らし、最高です!
[NPO法人島ラジオ壱岐について]
2004年2月に開局したミニFM局「勝本FM76.4MHz」の3年7カ月の活動を経て2011年5月10日に壱岐市地域情報通信基盤整備の防災事業の一環でコミュニティ放送局が整備される。災害や緊急時にリアルタイムで停電や断水・島である事から交通情報等をきめ細かく提供できる事から島民にとっても大きな情報源のインフラとして拡大。地元島民が番組作りを担当している。
放送免許/運営はNPO法人島ラジオ壱岐が運用
・設立:平成23年2月8日
・開局:平成23年5月10日
里親として好感度アップ目的?

里親としては、留学生を受け入れ里子と共同生活。
・里子の受け入れとしてご両親から月4万円
・里親としての支援金4万円
と合計8万円をもらい里親としての活動にも力を入れております。現在、留学生が6人とのことで、合計で月48万円貰っているということです。
代表として、ラジオDJとして、島では有名な方となります。留学生を受け入れ48万貰い、好感度アップを考えていたのでしょうか。こんなにいろいろと活動していると疲れを感じるかと思うのですが、日頃の仕事の疲れから、里子たちに八つ当たりしていたのでしょうか。
椎名隼都さんの里親母「物腰やわらかな齋藤京子」
椎名隼都さんの里親の母方は、齋藤京子です。母親として、5人の子供と6人の留学生の面倒をみています。

齋藤夫妻は、壱岐市役所が制作した動画である「いきっこ留学2019」に里親留学の里親として出演しております。インタビューでは、齋藤京子がほとんど話をしています。
椎名隼都さんは数秒だけ映っていました。

里親母「最初の2,3日はすごく楽しそうなんですけど一週間目がちょっと寂しい感じ。で、そこを乗り越えたら、もう全然!帰らないっていうもんね。」

里親父「みんなで一緒に時間を過ごして、教室みたいな雰囲気も、、、あるときはあるので。」
「預けられる、やっぱ、お父さんお母さんも、すごく勇気がいると思います。だからこそね、そういう思いに応えたいと思いますし。」
里親母「やっぱり壱岐にきてくれたからこそは壱岐のいいところにも連れて行ってあげたいし、いろんなイベントにも行って、いろんな人と出会って経験をして肌で感じ取ってもらいたい。うんうん。」
里親父「肌で、肌で感じ取らないと。」
里親母「近所の方たちもどこの子が来たんだろうって声かけてくださったりだとか。身近におじいちゃんおばあちゃんとか、世代が違う年代が違う方たちと触れ合う機会があって、そういう意味では、壱岐は最高だと思います。」
動画では、物腰やわらかく優しい口調の奥様に見えました。
椎名隼都さんが暮らしていた「超豪邸!」
齋藤夫妻や留学生が暮らしている壱岐市の自宅が、家も庭もデカくて豪邸でした。2010年頃に建てられたそうです。

住所:長崎県壱岐市郷ノ浦町片原触1019-1(事業所住所と同じ)
この自宅から港までは徒歩で約40分ほどです。

椎名隼都さんが、傘とマスクを取りに家に帰り、港まで徒歩で戻るとなると結構な距離を歩くことになります。しかも、この日は大雨だったとのこと。

自宅から壱岐高校までの道のりは徒歩で約20分です。
椎名隼都さんの父親「我が子を想う願い」
椎名隼都さんが離島留学に参加した経緯は、父親でした。顔写真は公開されていません。
「おとなしくて自分に自信がなかった隼都を変えたいと思って離島留学に参加させました。」
壱岐に来てから家に戻ってくるときには明るくなっていた。1人で飛行機にも乗れるようになってお兄ちゃんらしさも出ていた。
引用元:NHK取材
息子に自信をつけてほしいと、自然豊かな土地で同い年くらいの子供たちとの共同生活を進めたようです。実際、茨城に帰郷した際に明るくなっていたそうで、いい影響を受けていると感じていたようです。
もしかすると、父親に心配をかけまいと明るく振る舞っていたのかもしれません。
出てきたら俺が守る。俺が守るから怖がらないで勇気を出して出てきてほしい。出てきたら抱きしめてもう離さない。優しく包んであげたい。
引用元:NHK
【追記】椎名隼都さん原島神社付近で遺体となって発見される
3月21日、DNA鑑定の結果が判明しました。やはり行方不明となっていた椎名隼都さんでした。遺体には刺し傷など外傷はなく、警察は自殺、事故事件の可能性も含め調査していくとのことです。
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